2009年8月21日金曜日

北方三国志13



「死せる孔明、生ける仲達を走らす」が有名ですが、北方三国志には、この言葉さへ現れません。司馬懿は、ひたすら孔明との決戦をさけ、堅陣を組んでそこからは一歩も出ようとしない。孔明も、長安攻略を考えるが、挟撃のリスクから動けない。最後は擁州の西部に軍を散開し、西部制圧後に長安を奪取という局面の打開を謀るが寿命がつきてしまう。劇的な場面もほとんどなく、淡々と孔明の最後を描いています。

長安は、そこにある。洛陽も、遠くない。いまの軍だけでも、侵攻は可能だ。しかし、擁州西部が加わる。涼州もなびいてくる。大軍になるのだ。
中原まで制すると、次はどこになのか。河北か、それとも呉か。
「天下統一は、遠い夢でありましたな、殿。」
孔明は劉備に話しかけていた。・・・・。
「しかし、殿。我々が目指した天下とは、なんだったのですか?」

なんでもかんでも背負い込んでしまい、燃え尽きた孔明の負けなのか。

北方三国志では、漢の血を守り抜くことが、万民にとって平和な社会をもたらすことにつながる、という思想が底流にあります。劉備も孔明も、そして登場人物の多くがその考えに同意している。だから、漢の旗を揚げれば、多くの人が集まってくる。一方、曹操は、漢の血は腐ったのだから、覇者が帝になるのが正しいと考える。その考えが、荀彧(劉備に近い)との軋轢を生んだりもしますが、曹操の考え方のほうが中国では普通の気がします。実際、秦から漢に変わるときも、そうでしたし。、また、漢以降の中国の歴史は「易姓革命」と呼ばれるように、毎回、新しい血(姓)が皇帝になってきたのだから。一方、日本は万世一系の天皇制。天皇家は続き、為政者のみが次々と変わっていく。藤原氏、平氏、源氏、足利氏、などなど。

多分、北方さんは天皇制が好きなのでしょう。

それはともかく、三国志が堪能できた全13巻でした。

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